世界中のわんこと飼い主に、笑顔を届けたい。
あれは2年前。当時大学生だった私は、「何か犬関係の事業ができないか」と、色々考えていた。動物保護業界やペット業界での経験を通して、人生を犬に捧げると決めたタイミングだった。
そのときたまたま、知り合いの知り合いであった西陣織の帯会社『加納幸』さんが「着物以外でなんか新しいことできないかな」とおっしゃった。 そこで私が「西陣織で犬の服作ってみましょう!」と言った。こうしてスタートしたのが「西陣織ドッグウェアブランドMiyako」だ。
正直に言うと、私は京都出身・京都育ちでありながら、着物にも西陣織にもご縁がなかった…家が着物関係でないどころか、最後に着物を着たのは七五三のとき笑。
Miyakoを始めてから、たくさん勉強した。本やネットで調べるだけでなく、加納幸さんに通ったり、着物展に行ったり、西陣織会館で職人一人一人にお話を伺ったり、西陣織のギャラリーや美術館に行ったり…
今では、京都の伝統工芸にまつわるたくさんの方にお世話になっている。
ある日丹後ちりめんを取り扱いたいと思い、知り合いに相談した。知り合いは親切にも、丹後ちりめん業界で知らない人はいない『たゆう』さんを紹介してくださった。丹後までご挨拶に伺ったところ、ぽっと出のペーペーな私に、代表の田茂井さんはとてもとても親切にしてくださった。本当に頭があがらない。
ある日イベントで知り合った『受け継ぐカンパニー』の菊池さんは、京鹿の子絞りの職人である松田さんとタッグを組んで事業をされている。松田さんは突然おとずれた私に、鹿の子絞りの技法や着物について惜しみなく教えてくださった。
ここでは書ききれないほどたくさんの方のおかげで、弊社は成り立っている。
戦前、着物は日常着だった。日本には、和裁のできるお母さんたちがたくさんいた。しかし戦後、ほとんどの人が洋服を着るようになった。着物が日常から切り離された結果、日本人の心も着物から離れていった。今では着物は必需品ではなく、嗜好品となっている。ハードルの高いものだと多くの人が考えている。(Miyakoを始めるまで、私もそう思っていた。)
着物作りは分業制だ。たくさんの工程を細分化し、それぞれの工程をそれぞれの職人が担う。一枚の着物、一本の帯が、数多くの職人の手によってやっと出来上がる。たとえば、ジャカードに経糸をセットするだけでも、綜絖(そうこう)という専門職が存在する。職人は1つの技術を覚えることに一生を費やす。まさにプロフェッショナルの世界だ。(大規模な企業さんは、複数の工程を一つの企業で担っていたりする。)
しかし、着物需要が減り、市場規模は1900年代半ばの1/10ほどに縮小してしまった。分業制なので、余計ダメージがでかい。職人にお話を伺うと、「自分の子供たちには跡を継がせたくない」とおっしゃる。技術を身につけるのは一生かかるのに、収入が見合わないからだ。そうこうしているうちに、「この工程をできるのは世界でこの人しかいない」という事象さえ発生しているらしい!
「昔は機織りの音がそこらじゅうで聞こえたのに」と言う私の祖母。「西陣織はまだ潤っている方だ」とおっしゃる、京都の職人さんたち。事業を始めるまでそんな危機感さえ抱いたことがなかった私は、自分の無知さに愕然とした。
今まで着物に関わりがなかったからって、こんな状況を見過ごすわけにはいかない!もし着物が作れなくなってしまったら。帯が作れなくなってしまったら。伝統が途絶えてしまったら…
そして自分の次の世代たちは、もっと着物から遠ざかってしまうかもしれない。途絶えてしまったものは、100%もと通りに復元することは不可能だ。私たちの世代が、最後の砦かもしれない。
だから私は、世界中に京都の伝統工芸を伝えたい。現代の京都だけでなく、遥か昔から続く伝統もセットで知ってもらいたい。京都の伝統工芸市場と他の市場を組み合わせることで、新しい層にこの価値を届けていきたい。
一見犬への想いしかなさそうな私だが、京都の伝統工芸についても、ちゃんと想いを持っているのです。
世界中のわんこと飼い主に笑顔を届けながら、
京都の伝統も未来へつなぐ。
これからも挑戦を続けます🫡