私が泊まっていたホステルは、1泊約700円。
本来は4人部屋であるはずの部屋には、私しかいない。しかも天井には、大きなファンまでついている。さらに朝ごはん付き。最高。

朝ごはんは、フロント横の小さな丸テーブルで食べる。食パンにマーガリンを塗ってかじる。ゆで卵も置いてあったが、あたるのが怖くて食べなかった。
フロントのお兄さんがとても親切で、「チャイ飲みなよ〜」とマシンでチャイを淹れてくれた。うん、路上のチャイとは全然違うけど、これはこれで甘くて美味しい!
こんな居心地の良いホステル、延泊するしかない!ということで、もう1泊分の料金を払った。
ちなみにフロントのお兄さんは、(たしか)26歳。コルカタから少し離れた村の出身で、今は住み込みで24時間365日このホステルで働いているらしい。ただし日本人が想像する「働く」とは価値観が違うので、ブラックなようで、ブラックではないのだろう。

今日の宿も決まったので、早速近くを探検することに。
ホステルの裏では、大規模な工事が行われていた。地面を掘る人、資材を運ぶ人。インドにいると、「働く」という行為が、街を歩くだけでとても身近に感じられる。
私は「労働者」という言葉からは、「資本も持たないヤツら」みたいなちょっとした蔑みのようなものを感じ取ってしまう。プロレタリアートも然り。
これまで色々な人(主に資本家)が、そのような感情でこの言葉を発してきたのだろう。「労働者」という言葉を頭に浮かべるたびに、その背景に積み重なった蔑みの感情が、一気に入ってくる。
だが、労働者からは、強い誇りを感じる。なのになぜ「労働者」という言葉から蔑みを感じ取るかというと、労働者は自分自身のことを「労働者」という言葉では表現しないからだろう。ただ働き、生きているだけなのだ。言葉とは、それを多く使う者の感情を含むのである。
それか、もしかしたら私が資本家視点でこの言葉を捉えている…?いや、私は資本を持たない(会社をしているが…)。そして何を隠そう私は、働くことに誇りを持っているのである。世界を動かすのは私たちなのだ、という自負がある。
そんなことを考えているうちに、またすごいものを見つけてしまった…
↓天空歩道(そんな名前なのか知らんが)

下は薄暗い商店街。ごちゃごちゃしていて、人とバイクと屋台が入り乱れている。でもセキュリティチェックを抜けて上に行くと、こんなにも綺麗な歩道が現れる↓

外部の人間が言うのも違う気がするが、ここにお金をかけるのか…
天空歩道から見える景色↓
インドの、屋上に洗濯物が干されている景色が大好き。生活の象徴みたいな光景なのに、俗っぽさがなく、神聖に感じてしまうのはなぜだろうか。

天空歩道を後にする。
街中には空手教室や、どこを参考にしてこうなったかわからない日本&中華料理屋さんがあった。


そしてペットショップ!見かける犬は、もちろん野良犬が多いが、散歩中のスピッツやシベリアンハスキーに会うこともあった。インドのペット市場は、きっとこれからどんどん盛り上がるんだろうな。

お腹が空いたので、たまたま通りかかったレストランに入ってみた。ローカル感満載のお店で、メニューもよくわからない。
お店の人は英語を話せないけれど、すごく私のことを気にかけてくれた。たくさん質問をしてくれるが、わからん…でも不思議なことに、会話は成立する。「お水いる?」とか「辛さ大丈夫?」とか聞いてくれてるんだろうな〜。コルカタの人は、本当に親切で心があったかくなる。
最後にどこから来たか聞かれた(っぽい)。
「Japan」と言うと、「Oh my God!」とにっこり笑顔になった。ああ、日本ってすごいな〜。変なことできひんな。

さらに親切な出来事は続く。
帰り道、チャイを飲みたくなった。だが、屋台が見つからない。そんなことあるのか?!と思って小売店のオーナーに聞いてみると、「今日は日曜日だからね」とのこと。今日は日曜日なんや…。
そのオーナーは、一緒にチャイ屋を探してくれて、開いている店が一軒もないとわかると、なんと「うちの店で飲んでいき」と紅茶を作ってくれた!
小さい紙コップに、リプトンのティーバッグ。あったかくて、とても美味しい。今まで自分がしてきた様々な恥じるべき行為を思い出し、心がむずむずする。
お礼に20ルピー払おうとしたが、受け取ってくれない。それならば、と、Maaza(マンゴージュース)と水を買い込んで帰った。
ホステルでヘルマン・ヘッセの『シッダールタ』を読む。
ロシア人のとんでもなく大きい男性が、話しかけてくれる。彼は2週間ほどインドを旅しているらしい。「これから電気を探しに行く」と言っていた。(そんなインドの楽しみ方あるんや)そして去り際に、「もしお腹を壊したら、これを飲みな」と薬をくれた。お礼に、蚊に効く「Odomos」を渡した。

そうこうしているうちに、時刻は夜の8時。またお腹空いたな〜
フロントのお兄さんにおすすめのレストランを教えてもらい、食べに行った。本当に本当に美味しい、チキンカレーとバターナンを食べた。
そして私は、隣の席の家族を見て、ずっと混乱していた。というのも、お店の人が、どんどん隣の席にナンを持ってくるのだ。何も言われてないのに!どういうシステム?!わんこそばみたいなメニューがあるのか…最後までわからなかった。

帰りにわんにゃんパトロール↓




ホステルに帰り、ベランダで『シッダールタ』を読んでいると、
「バンッ!」
突然大きな破裂音がした。なんじゃ?!とびっくりして辺りを見回すと、外で大勢の若者が旗を持って行進している。
フロントのお兄さんが、「大丈夫?!」と様子を見にきてくれた。どうやらその日は、インド中が熱狂するスポーツ・クリケットの決勝戦があったらしい。それでインドが勝って、みんな大盛り上がり。爆竹がそこらじゅうで鳴っていた。
インド人とクリケットは、日本人と野球なんて比べ物にならないくらい太い太い糸で結ばれているのだ。爆竹がなるたびに、エネルギーの爆発を感じた。

そんな、私を毎日ワクワクさせてくれた街とも、ついにお別れの時が迫っていた。翌早朝、フロントのお兄さんに別れを告げて、バイタクを呼んで駅に向かう。
評価の低いバイタクを呼んでしまったので不安だったが、ただめっちゃスピードを出す人なだけだった。ジェットコースターみたいで楽しい〜♪

朝5時にも関わらず、駅は混雑していた。眠らない街、インド。


時間があったので、朝ごはんを食べてチャイを飲む。安くておいしくてお腹膨れる。

各国には、その国なりの日常の飲み物がある。そこには、「労働者」の休息のため・コミュニケーションのため・健康のためなど、様々な工夫や文化が詰まっている。
例えばインドのチャイ。路上で、小さなカップ片手にみんなが立ち話をしている。甘くて、熱くて、スパイシーで、「よし、もうひと頑張りするか」という気持ちになる。
イタリアのエスプレッソもそうだ。小さいカップに濃縮された苦味を流し込み、数分で店を出ていく。あのスピード感込みで文化になっている。
私は日本にいる時、インドの20円のチャイも、イタリアの200円のエスプレッソも、定期的に恋しくなる。

では、日本でチャイやエスプレッソの役割をはたすものって何だろうか。麦茶や番茶は、日常的に飲む。でも、喉が渇いて飲む。一方でチャイやエスプレッソは、飲みたくて飲む。中毒的に飲む。量も全然違う。
抹茶は?日本人は、日常的に抹茶飲まへんしな… 抹茶はどちらかというと、特別な飲み物として君臨している気がする。高級で、格式があって、ステータスみたいな。
例えば日本人が、コミュニケーションのためにカフェに行くとする。「私紅茶で」「私コーヒーで」「私ほうじ茶ラテで」と、それぞれがそれぞれの飲み物を頼む。ミックス。日本は島国で排他的な要素が多いけれど、飲み物においては器が広いのかな。宗教と同じだ。
あ、でも、もしヤクルトが日常的、中毒的な飲み物になったら面白いかも。

駅であぐらをかいてチャイを飲みながら人間観察していると、出発の時間になった。ガヤに向かいます!

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